京都の中の伏見
京都市の南の玄関口「伏見」は、桂川、鴨川、宇治川の3つの川に沿った平野部と桃山丘陵を 南端とする東山連峰の山並みから構成されています。
「伏見」の歴史は古く、『日本書記』には「山城国俯見村」として記されています。
平安時代には風光明媚な山紫水明の地として皇室や貴族の別荘がおかれ、安土桃山時代には豊臣秀吉が伏見城を築城し一大城下町を形成しました。
江戸時代には京都と大坂を結ぶ淀川水運の玄関口として栄え、幕末には坂本龍馬をはじめとする勤王の志士たちとともに近代の夜明けの舞台となりました。
京都市 小見山明敏様 ご提供
- また、昭和4年(1929年)6月から昭和6年(1931年)3月までの約2年間、伏見市として独立していたことから もわかるように、京都と深いかかわりを持ちながらも、豊かな水に恵まれた環境のなかで独自の文化を発展させてきたのです。
今日では、京都市伏見区として、広域交通が結節する京都市南部地域の中心に位置し、歴史的な町並みや酒蔵、文化財が共存し、伏見稲荷、城南宮、御香宮神社や坂本龍馬の定宿で知られる寺田屋、さらには伏見桃山城など、観光スポットとしても賑わいをみせています。
伏見と酒の歴史